歴史の見える丘は、戦艦大和のふるさとでもある呉の歴史を一望できる場所です。
眼下には、旧海軍工廠の造船部門が見下ろせ、大和にちなむ記念塔や造船船渠(ドック)の記念碑などがあります。
「歴史の見える丘」は、メインストリートの国道から一段上がった小高い丘にあります。
周辺は閑静な住宅街で、いかにも観光地という雰囲気はないのですが、かつての「呉鎮守府」や「戦艦大和が建造されたドック」など呉の歴史を一望できる貴重な場所です。
呉市は、「鎮守府、日本近代化の躍動を体感できるまち」として文化庁指定の日本遺産(Japan Heritage)にも指定されています。
鎮守府とは、旧日本海軍の根拠地のことを言い、呉のほかに、横須賀、佐世保、舞鶴の4都市に置かれました。
ここから見える風景は、地図付きの案内板でていねいに解説されていますので、実際の風景と見比べてみましょう。
むかって右側には、レンガ造りの「旧呉鎮守府庁舎(現海上自衛隊庁舎)」が見え、さらに向こうに大和ミュージアムが見えます。
向かって正面左側には、旧海軍工廠の造船部門が見下ろせ、戦艦大和が建造されたドックがあります。
戦艦大和はこの地で建造され、昭和15年8月8日秘密裏に進水したとのことです。
通常、進水はドックの船台から直接海へ滑り出させますが、大和があまりに巨大なため、ドックに海水を注入したうえ、他の船で引き出したといいます。
ひときわ目立つドックの大屋根は、大和建造当時のものです。
歴史の見える丘の解説板の右手には、造船船渠記念碑があります。船渠とは船を建造するドックのことをいいます。
そして、碑文のそばに見える階段上場の構造物は、かつての船渠側の石をそのまま使い、渠底(ドックの底)へ降りる階段部分を再現したものです。
当時の船渠は、長さ270メートル、幅35メートル、深さ11メートルあり、その大きさは東洋一の規模でした。
まさにこの船渠で、大和や長門などいくつもの戦艦が建造されたというわけです。
それだけではなく、戦後も世界初の10万トン級タンカー「ユニバースアポロ」など、時代を代表する商船を建造してきました。
戦艦大和建造における技術は、戦後の復興の支えとなり、現代に受け継がれているというわけです。